一草庵≪種田山頭火終焉の地≫訪問2002年5月2日道後地区、御幸山のふもとに種田山頭火が最後の日々を過ごした『一草庵』があります。 5月と11月の2回、それも1日からの3日間のみ内部を公開してくれます。 一草庵の存在は以前から知っていましたが、今回初めて訪れてみました。 場所は松山護国神社の西隣、四国八十八ヶ所の石手寺から太山寺への遍路道沿い。 看板にしたがって小路に少し入ります。 遍路道からは建物が見えないので、看板を見落とすと気がつかないくらい、マイナーな場所。 住宅の中にそれはこじんまりとたたずんでいました。 庭には、俳句の書かれた看板、そして句碑が 『春風の鉢の子一つ』 山頭火は五七五の定型にこだわらない自由句で有名ですが、 その人生もまた波乱万丈だったようです。 家を背負う立場に生まれ、家族の不幸、家業の破産で一家離散、 その後出家したものの酒好きはそのまま。 45歳から一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅をはじめ、出身地山口を起点に、 遠くは東北まで足を伸ばしたとのこと。 昭和14年9月に来松、四国各地を転々とした後、12月に知人の勧めで 御幸寺境内に住まい、『一草庵』と名付けましたが、翌年10月11日に 脳溢血により永眠しました。 享年59歳。 亡くなる前夜は庵の隣にある護国神社の例大祭で、そのお下がりのお酒を何人かで飲んでいたようです。 『コロリ往生』ですね。 これが山頭火が住んでいた当時の一草庵の間取りです。 昭和27年に建物保存の為改築したので、現在は6畳間の東側に板間が 増築された(展示物陳列の為)ほか、多少間取りも違っているようですが、 ほぼ元の建物に近い形で保存されています。 暗くてわかりにくいのですが、いちばん右側にあるのは着用していた 黒い袈裟です。 真中くらいにある背の高い物は、愛用の漬物桶だそうです。 左の方は食器類。 このあたりの茶碗で大好きなお酒を飲んでいたのでしょう。 訪問した私達には、お酒の代わりに梅茶のお振る舞いがありました。 俳句の世界の方や山頭火ファンには聖地です。 しかし、俳句をたしなんでいない私でも、古きよき時代を感じることが 出来ました。 外側だけなら、この日以外でも見ることが出来ますので、ぜひ行ってみて ください。 料金無料です。(なんと公開中も!) 『山頭火と一草庵』松山市教育委員会 生涯教育部 文化教育課のパンフレットを参考にさせて頂きました。 |